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【エッセイ】複業とは何か?「仕事は一つであるべき」という幻想が崩れた時代の話

代表社員 廣瀬高之

こんにちわ。
「伝わらない」を、終わらせる。
ちょっとクセノツヨイ会社「ビガスマル」代表の廣瀬です。

先日、講師として中学生の前に立ちました。

依頼のときに、こんなことを言われました。

「記者としての顔と、社長としての顔で話してほしい」

なるほど、と思いました。

「働くこととは何か」 「職業とは何か」 それを語るには、肩書きがあったほうが分かりやすい。

だからその日は、

  • 記者として見てきた現場の話
  • 社長として決断してきた話

その二つの顔を使って、講演をしました。

でも、正直に言うと、 話しながらずっと頭の片隅にあったことがあります。

「本当は、どっちも“一つの仕事”じゃないんだよな」

記者も、社長も、 たまたま今、そう呼ばれているだけ。

自分の中では、 仕事はもっとグラデーションで、 もっと曖昧で、 もっと重なり合っています。

その感覚を言葉にしようとすると、 思い出したのが、 岡田斗司夫さんが話していた 「複数の仕事」と「共感社会」の話でした。

この話は、 講演ではしませんでした。

中学生に話すには、 少しややこしくて、 少し生々しすぎるからです。

でも、大人には話せる。

そして今、 働き方に迷っている人ほど、 一度ちゃんと考えておいたほうがいい話だと思っています。

これは、 「複業とは何か」という話であり、 同時に、

「仕事に、どこまで自分を預けていいのか」

という話でもあります。

少し遠回りになりますが、 一緒に考えてみましょう。

複業とは何か?副業との違い

まず、言葉を整理しておきます。

「複業」と「副業」。

似ているようで、 実は考え方がまったく違います。

副業は「収入の足し」、複業は「仕事の持ち方」

副業という言葉は、 どうしてもメインの仕事があって、その“ついで”というニュアンスを含みます。

・本業があって ・空いた時間で ・お金を稼ぐ

この構造自体は、悪くありません。

ただ、副業という言葉には、

「仕事は本来一つであるべき」

という前提が、無意識に埋め込まれています。

一方で、複業は少し違います。

複業とは、

仕事を役割として分けて持つ、という考え方

です。

収入源が複数ある、という意味もありますが、 それ以上に、

自分を一つの肩書きに固定しない

という感覚が強い。

仕事を増やすと、逆に「自分」が見えてくる

不思議な話ですが、 仕事を一つに絞れば絞るほど、 人はその仕事に自分を重ねすぎます。

「〇〇の人」 「〇〇屋さん」 「〇〇をやっている自分」

この肩書きが、 いつの間にか人格そのものになります。

すると、

  • 仕事がうまくいかない=自分が否定された
  • 評価されない=存在価値がない

そんな感覚に陥りやすくなります。

複業は、その状態から一歩距離を取るための方法でもあります。

役割を分けることで、

「これは仕事Aの話」 「これは仕事Bの話」

と、感情を切り分けられる。

結果として、 一つひとつの仕事と、 もう少し健全な距離で向き合えるようになります。

記者と社長、そのどちらも「仮の顔」

講演で頼まれた、 「記者の顔」と「社長の顔」。 ちなみに私は、 地方新聞の記者と、 トビガスマルの社長業を行ったり来たりしながら働いています。

あれも、 複業的に見れば分かりやすい例です。

記者として現場を見る自分。 社長として判断する自分。

どちらも本当だし、 どちらも仮の役割です。

その二つを行き来できるから、 見えるものも、 言葉の選び方も変わる。

複業とは、

「本当の自分」を探すことではなく、 複数の仮の顔を持つことを許す考え方

なのかもしれません。

次の章では、 そもそもなぜ私たちは 「仕事は一つであるべきだ」と思い込んできたのか、 その前提を一度、疑ってみます。

岡田斗司夫さんの「共感社会」という視点

ここで、講演中にずっと頭の片隅に残っていた話に触れます。

岡田斗司夫さんが語っていた、 「共感社会」という考え方です。

私はこれを初めて聞いたとき、 妙に腑に落ちました。

というより、

「ああ、だから最近、みんな仕事がしんどいのか」

と、納得してしまったんです。

共感社会とは「正しさ」より「好かれるかどうか」で動く社会

ざっくり言えば、共感社会とは、

論理や正しさより、感情や共感が価値を決める社会

です。

昔は、 「正しいことを言っている人」 「実績のある人」 「専門性の高い人」 が評価されやすかった。

もちろん今も、専門性は大事です。

ただ、SNSが生活に溶け込んだ今は、 それだけでは足りない。

たとえ正しいことを言っていても、

「なんか嫌」 「なんか鼻につく」 「共感できない」

という感情が先に立つと、 その時点で“負け”になることがある。

これは、結構怖い時代です。

仕事は「スキル」より「キャラ」で選ばれるようになった

共感社会の中では、 仕事も少しずつ変質します。

スキルや技術より、

「この人に頼みたい」 「この人を応援したい」

が先に立つ。

つまり、 仕事は能力だけで決まらず、 人格・雰囲気・ストーリーが 価値として加算されていきます。

これは映像制作の現場でも同じです。

「同じ価格で、同じクオリティの映像が作れる会社があるなら、 最後に決まるのは何か」

答えは、ほとんどの場合こうです。

“誰と仕事したいか”

結局、共感で選ばれる。

技術があることは大前提で、 その上で「信頼できるか」「好きになれるか」が決定打になる。

共感社会は、仕事を「生き方」に変えてしまう

ただし、ここに落とし穴があります。

共感社会では、 仕事の評価が、

成果物だけでなく、 “自分そのもの”に向かいやすい

ということです。

作品が評価されるのではなく、 人格が評価される。

サービスが批判されるのではなく、 存在が否定される。

そういう圧力が生まれやすい。

これは、 「好きなことで生きていこう」 という言葉が流行った時代の副作用でもあります。

仕事が、生き方と直結しすぎた。

だから今、

仕事がうまくいかないだけで、人生が崩れた気がする人

が増えている。

自分を仕事に預けすぎてしまうと、 失敗したときに逃げ場がなくなる。

だから複業は「逃げ」ではなく「構造としての安全策」になる

ここで、複業の話がつながります。

複業というのは、 単に収入源を増やすための手段ではありません。

共感社会においてはむしろ、

自分の人格を、一つの仕事に賭けないための安全策

になります。

「この仕事がダメでも、別の役割がある」 「この場所で嫌われても、別の場所で必要とされる」

そういう構造があるだけで、 人は少し自由になれる。

そして、自由になった人ほど、 結果的に仕事の質も上がります。

怖いのは、 一つの仕事に依存しすぎた状態です。

依存した瞬間に、 共感社会は“地獄”になります。

次の章では、 この「共感社会の地獄」を回避するために、 中学生に何をどう伝えるべきだったのか。 そして大人がどう生きればいいのか。 もう少し具体的に考えてみます。

共感社会では「一つの仕事」だけだと息が詰まる

共感社会がやっかいなのは、 ただ評価の基準が変わった、という話ではありません。

評価され続けることが、前提になる という点です。

何かを発信すれば反応があり、 仕事をすればレビューがつく。

良くも悪くも、

「見られていない状態」がほとんど存在しない

社会になりました。

仕事=名刺=自分、になると苦しくなる

一つの仕事に全振りしていると、 その仕事はやがて名刺になります。

そして名刺は、 いつの間にか「自分そのもの」になります。

「〇〇の人」 「〇〇をやっている人」

このラベルは便利です。

でも同時に、

逃げ場を奪うラベル

でもあります。

その仕事で評価されなければ、 自分の存在価値まで否定された気になる。

これは、かなり消耗します。

複業は「自分を分散させる」ための技術

複業の本質は、 仕事を増やすことではありません。

自分を一か所に集約しないこと

です。

役割が複数あれば、 評価も分散される。

一つの場所で転んでも、 別の場所で立っていられる。

これは、精神論ではなく構造の話です。

「気持ちを強く持とう」ではなく、 折れにくい構造を作る

複業は、そのための方法の一つです。

逃げ道がある人ほど、仕事に誠実になれる

面白いことに、 逃げ道がある人ほど、 一つひとつの仕事に真剣です。

「これがダメなら終わりだ」 と思っている人ほど、 無理をするし、 判断を誤りやすい。

一方で、

「他にも役割がある」

人は、 必要以上に媚びない。

無理な依頼には、無理と言える。

結果として、 仕事の質が上がる。

これは、 記者としても、 社長としても、 何度も見てきた光景です。

中学生にこの話をするのは、少し早いかもしれない

正直に言うと、 この話を中学生にするのは、 少し早いと思います。

彼らにはまず、

「やってみる」 「失敗してもいい」 「一度決めた道から外れてもいい」

そういう感覚を持ってほしい。

ただ、大人には話せる。

そして今の大人こそ、

一つの仕事に、人生を賭けすぎている

人が多いように感じます。

次の章では、 「じゃあ、複業をすればいいのか?」 という単純な話ではなく、 複業で一番大事なことについて触れます。

仕事を増やす前に、 考えておいたほうがいい話です。

複業で一番大事なのは「何をやるか」ではない

ここまで読むと、

「じゃあ複業をすればいいんですね」

と、思われるかもしれません。

でも、ここで一つ、 はっきりさせておきたいことがあります。

複業は、手段であって目的ではありません。

仕事を増やしても、しんどくなる人はいる

実際、

  • 本業で疲れ切っている
  • 評価に振り回されている
  • 常に「ちゃんとしていなきゃ」と思っている

こういう状態のまま複業を足すと、 ただ消耗が倍になるだけです。

役割が増えたのに、 気持ちは一か所に縛られたまま。

それでは、 構造は何も変わりません。

分けるべきなのは「時間」より「役割」

複業というと、

「平日はこれ、週末はこれ」 「昼は本業、夜は副業」

という時間の切り分けを想像しがちです。

でも、もっと大事なのは、

役割を分けること

です。

・評価される役割 ・評価されなくていい役割 ・お金になる役割 ・ならなくてもいい役割

これが混ざっていると、 どの仕事をしていても、 常に緊張が抜けません。

「評価されなくていい場所」を持つ

共感社会では、 どこにいても評価がついて回ります。

だからこそ、

評価されなくていい場所を、意識的につくる

ことが、かなり重要になります。

それは必ずしも、 収益を生む仕事でなくていい。

・教える ・書く ・作る ・試す

誰にも見せなくても成立する役割。

そこがあるだけで、 他の仕事で受ける評価を、 少し距離を取って見られるようになります。

肩書きは「説明のため」に使えばいい

肩書きは、 自分を縛るものではありません。

説明のためのラベルです。

記者。 社長。 映像制作者。

どれも、 私を説明するための言葉であって、 私そのものではない。

そう思えるかどうかで、 仕事との距離感は大きく変わります。

「一つに決めきらない」ことは、弱さではない

日本では長く、

「一つの道を極める」 「ブレないことが美徳」

とされてきました。

でも今は、

一つに決めきらないほうが、誠実でいられる時代

だと感じています。

無理に一本化しない。 無理に物語を作らない。

揺れながら、 複数の役割を行き来する。

それは、 逃げではなく、 今の社会に対する現実的な適応です。

次は最後に、 この話を中学生向けの講演で なぜ話さなかったのか、 そして 大人にこそ伝えたい理由をまとめます。

この話を中学生にはしなかった。でも大人には伝えたい

講演が終わったあと、 少しだけモヤモヤが残りました。

もちろん、依頼された内容は話しました。 働くこと、職業、社会のこと。

中学生にとって必要な話を、 ちゃんと届けたつもりです。

でも、その帰り道にふと思ったんです。

「共感社会と複業の話は、あの場では言えなかったな」

ということを。

中学生に必要なのは「構造」より「体験」

共感社会だとか、 仕事が人格を侵食するとか、 複業が精神的な保険になるとか。

こういう話は、 知識としては面白いけれど、 中学生にとっては少し抽象的です。

たぶん彼らには、 まずこういうものが必要です。

  • やってみる経験
  • 失敗してもいい経験
  • 人に迷惑をかけても取り返せる経験
  • 得意なことに気づく経験

「働くとは何か」という答えより、 「やってみた」という実感のほうが残る。

だからあの日の講演では、 複雑な社会構造の話は、あえて避けました。

でも大人は、もう「体験」だけでは乗り切れない

一方で、大人は違います。

体験はもう十分に積んでいる。

それでも苦しい。

それでも迷う。

それでも「このままでいいのか」と思う。

だから大人には、 体験の話よりも、

「今の社会がどうなっているのか」 「自分が苦しい理由は何なのか」

という構造の話が必要になります。

苦しさの正体が分からないと、 努力の方向がズレます。

自分を責め続けるだけになります。

共感社会は「心が強い人」だけが生き残る社会ではない

共感社会というと、 「メンタルが強い人だけが勝つ」 みたいに聞こえるかもしれません。

でも、本当は逆だと思っています。

共感社会は、

構造を理解している人が、静かに生き残る社会

です。

自分の価値を、 一つの場所に預けない。

自分の人格を、 一つの仕事に賭けない。

その仕組みを持っている人が、 結果的に折れずに続けられる。

「記者」と「社長」の二つの顔で見えてしまうもの

地方新聞の記者として現場を見ていると、 地域の企業や働く人のリアルが見えます。

そして社長として会社を運営していると、 「仕事を作る側」の責任も見えてきます。

この二つを行き来していると、 どうしても確信してしまうことがあります。

仕事は、一つに固定しなくていい。

むしろ、固定しすぎると危険です。

「この仕事しかない」と思った瞬間、 人は弱くなる。

社会が悪いというより、 構造的に詰みやすくなる。

だから、複業は「可能性」ではなく「呼吸」になる

複業は、キラキラした働き方の話ではありません。

「好きなことを仕事に」でもない。

もっと地味で、もっと現実的で、

息をするための構造

だと思っています。

一つの場所に依存しない。 一つの役割に縛られない。 一つの評価で人生を決めない。

それだけで、 人は少し自由になれます。

そして自由になれた人ほど、 誰かのために、良い仕事ができる。

講演では言わなかったけれど、 この話は、大人にこそ届いてほしい。

そんな気持ちで、 今日このコラムを書きました。

最後に一つだけ。

あなたの仕事は、あなたの全てではありません。

でも、あなたがやっている仕事は、 あなたが思っている以上に、 誰かの世界を支えている可能性があります。

それを忘れずに、 役割を増やしていきましょう。

きっとそのほうが、 長く続けられます。

まとめ|「肩書き」は、人生を説明するための仮ラベル

仕事について考えるとき、 私たちはつい「正解」を探してしまいます。

どの会社がいいのか。 どの職業が安定か。 何を選べば失敗しないのか。

でも本当は、 正解がないから迷うわけではなく、

「一つに決めなければならない」

という思い込みが、 迷いを大きくしているのかもしれません。

記者として取材する自分。 社長として意思決定する自分。 映像を作る自分。 文章を書く自分。

そのどれもが本当で、 そのどれもが仮の役割です。

肩書きは、自分を縛るためのものではなく、 他人に説明するためのラベル。

人生を固定するための鎖ではない

共感社会の中では、 「好きなことで生きる」ことが美しく語られます。

でも同時に、 好きなことが否定されたとき、 自分の存在まで否定されたように感じてしまう危うさもある。

だからこそ、 役割を分ける。 評価を分散させる。 逃げ道を用意する。

それは逃げではなく、 長く続けるための技術です。

そして、続ける人が一番強い。

中学生に話すには早かったけれど、 大人にとっては、 今だからこそ必要な視点だと思っています。

もしあなたが今、 仕事に息苦しさを感じているなら。

「今の職業を変えるべきか」より先に、

「役割を増やせないか」

を考えてみるのも、 ひとつの答えになるかもしれません。

世界は意外と、 一つの肩書きだけで戦うには広すぎます。

トビガスマルにできること

トビガスマルは、 映像制作会社であり、文章制作会社であり、 企画構成を考える会社でもあります。

そして、プロカメラマンも自社で有しています。

つまり私たちは、

  • 「何を伝えるべきか」を整理し
  • 「どう伝えるか」を設計し
  • 「どう撮るか」を現場で判断し
  • 「どう言葉にするか」まで形にする

という流れを、 分断せずに一気通貫で伴走できます。

企業も、個人も、 「伝え方」が変わると、世界が変わります。

もし、あなたの会社や活動に

「伝わらない」を終わらせたいテーマ

があるなら、 一度ご相談ください。

「こんな相談していいのかな」 という段階からでも大丈夫です。

伝えることは、 才能ではなく、設計です。

そして設計できれば、 仕事も人生も、少し呼吸がしやすくなります。

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