こんにちわ。クセのつよい映像制作会社「トビガスマル」代表社員の廣瀬です。
実は私、つい最近になって『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』を初めてプレイしました。
忘年会のお楽しみ抽選会で、Switch2を手に入れたのをきっかけに、今さらながらのブレワイ体験です。
社内のデザイナーからは、ずっとこう言われていました。
「ゼルダやってないなんて、人生損してますよ」と。
正直、初代ゼルダ以来ということもあり、
「名作なのは知ってるけど、そこまで?」くらいの気持ちだったのですが——
プレイしてすぐに気づきました。
これはゲームというより、映像制作の教科書だと。
説明しすぎない演出、風景で語るストーリー、
カメラワークを意識させる世界設計。
この記事では、映像制作会社の視点から、
なぜブレワイが「最高の映像教材」だと感じたのかを掘り下げていきます。
目次
なぜゼルダの伝説 ブレワイは、今も語り継がれるのか
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が発売されたのは2017年。
にもかかわらず、今なお「最高傑作」「人生で一度はやるべきゲーム」と語られ続けています。
不思議なのは、
グラフィックの解像度やリアルさだけで見れば、
もっと新しく、もっと派手なゲームはいくらでもあるという点です。
それでもブレワイが特別視される理由は、
「体験そのものが記憶に残る設計」にあります。
評価されているのは「自由度」ではなく「委ね方」
ブレワイの代名詞としてよく挙げられるのが「圧倒的な自由度」。
確かに、どこへ行くのも、何から始めるのもプレイヤー次第です。
ただ、映像制作者の視点で見ると、
評価されている本質は「自由」そのものではありません。
ブレワイが本当に優れているのは、
プレイヤーに“選ばせているようで、導いている”点です。
広大なフィールドに放り出されながらも、
- 自然と高台に登りたくなる地形
- 遠くに見える気になる建造物
- 視線を誘導する光と色
これらによって、
プレイヤーは指示されていないのに、次の行動を選ばされている。
説明しないからこそ、世界に没入できる
ブレワイは、とにかく説明が少ないゲームです。
親切なチュートリアルも、長いカットシーンも、ほとんどありません。
それでも迷わない。
なぜなら、世界そのものが説明を担っているからです。
崖に立てば「登れるかもしれない」と思わせ、
炎を見れば「燃やせるのでは」と想像させる。
これは映像制作で言えば、
ナレーションやテロップに頼らず、画で理解させる演出と同じ。
「見せ方」ではなく「感じさせ方」が徹底されている
ブレワイが他のゲームと決定的に違うのは、
「何を見せるか」よりも
「どう感じさせるか」に全振りしている点です。
派手な演出は控えめ。
その代わりに、風の音、草の揺れ、時間の流れが強く印象に残ります。
感情が先に動き、理解はあとからついてくる。
この順番が、ブレワイ体験を忘れられないものにしています。
だからこそ、
何年経っても語られ、
今さら初プレイでも「名作だ」と感じてしまう。
次の章では、
ブレワイを“映像作品”として見たときに見えてくる構造について、
さらに深掘りしていきます。
ブレワイは“ゲーム”であり“映像作品”でもある
ブレワイをプレイしていて、
映像制作者として何度も立ち止まった瞬間があります。
それは「この画、完全に映画のワンカットだな」と感じたとき。
もちろん、ブレワイはムービー主体のゲームではありません。
むしろ、カットシーンは最小限。
それでもなお、
プレイ中の“体験そのもの”が、常に映像的なのです。
プレイヤーが「カメラマン」になる世界設計
ブレワイでは、プレイヤー自身が自然と
カメラワークを意識する存在になります。
高台に登って見下ろす。
夕暮れの逆光に立ち止まる。
霧の中から街が見えた瞬間を待つ。
これらはすべて、
「どう見せるか」を無意識に選ばされている行為です。
映像制作の現場で言えば、
- どの位置に立つか
- どの高さから撮るか
- 今は引きか、寄りか
といった判断を、
プレイヤーが自分の感覚で行っている状態。
ブレワイは、プレイヤーに「撮らせている」ゲームとも言えます。
ロングショットを多用する“余白の演出”
ブレワイの画づくりで特徴的なのが、
ロングショットの多さです。
遠くまで見渡せる構図、
あえてキャラクターを小さく見せる画。
これは、
映像制作における「情報を与えすぎない演出」と完全に一致します。
近づけば分かることを、
あえて遠くから見せる。
その結果、
視聴者(プレイヤー)は、
自分から近づき、確かめたくなる。
これは、
説明的なカットを積み重ねる映像よりも、
はるかに強い没入感を生みます。
環境音と間(ま)が、感情を支配する
ブレワイはBGMが少ないゲームです。
にもかかわらず、強く印象に残ります。
理由は明確で、
音楽よりも「環境音」と「間」を信じているから。
風の音、草の揺れ、足音。
そこに、ごく控えめにピアノが入る。
映像制作で言えば、
「音楽で感情を操作しない勇気」に近い。
感情は、押し付けるものではなく、立ち上がるもの。
ブレワイは、その前提を徹底しています。
ムービーより“体験の連続”が記憶に残る
派手なムービーは、確かに一瞬で心を掴みます。
でも、時間が経つと意外と忘れてしまう。
一方でブレワイは、
- 初めて山を越えた瞬間
- 朝日が昇るのを待った時間
- 何も起きなかった“静かな数分間”
こうした自分だけの体験が、強く記憶に残ります。
これは映像制作においても同じで、
説明された感動より、体験した感情のほうが残る。
次の章では、
このブレワイ的思想が象徴する
「引き算の演出」について、
映像制作の現場と重ねながら掘り下げていきます。
ブレワイの“引き算”は映像制作にも通じる
ブレワイをプレイしていて、
映像制作者として最も強く感じたのは、
「とにかく余計なものがない」ということでした。
UIは最低限。
説明テキストも控えめ。
次に何をすべきかも、基本的には明示されません。
それでもプレイヤーは迷わない。
なぜなら、必要な情報だけが、必要なタイミングで置かれているからです。
足し算ではなく「削る」ことで、世界は強くなる
映像制作の現場でもよくある話ですが、
企画段階ではどうしても「足したく」なります。
- 説明テロップを増やす
- ナレーションで補足する
- BGMを盛って感情を演出する
もちろん、必要な場合もあります。
ただ、それをやりすぎると、
「分かりやすいけど、記憶に残らない映像」
になってしまう。
ブレワイは、その逆を行きます。
説明を削り、演出を抑え、
プレイヤーが感じ取る余白を最大限に残す。
この“引き算”があるからこそ、
世界は広く、深く感じられるのです。
「理解させる」より「気づかせる」
ブレワイは、
「こうしてください」「次はここです」と教えてくれません。
代わりに、
- 遠くに見える塔
- 不自然に目立つ地形
- 気になる光や音
で、行動を促します。
これは映像制作で言えば、
説明するカットを入れる代わりに、ヒントとなる画を置くという考え方。
視聴者に“考えさせる余地”を残すことで、
映像は一方通行ではなく、体験になります。
企業映像で「説明しすぎる」と何が起きるか
企業VPやプロモーション映像では、
「伝えたいこと」が多くなりがちです。
結果として、
- 情報が詰め込まれ
- テンポが悪くなり
- 最後まで見られない
という事態が起こります。
ブレワイ的な考え方を当てはめるなら、
必要なのは「全部伝えること」ではなく、「興味を持たせること」。
続きが知りたくなる映像は、
説明を削った先に生まれます。
引き算は、制作側の覚悟でもある
引き算の演出は、実はとても怖い。
なぜなら、ごまかしが効かないからです。
余計な説明を入れない分、
構図・光・音・間が、そのまま評価される。
ブレワイが成立しているのは、
その一つひとつが徹底的に作り込まれているから。
映像制作でも同じで、
引き算を選ぶということは、
「表現そのものに責任を持つ」という覚悟でもあります。
次の章では、
このブレワイ的思考を、
実際の映像制作の現場でどう活かせるのかを具体的に掘り下げます。
映像制作の現場で、ブレワイ的思考はどう活きるか
ここまで読んでいただいた方なら、
ブレワイが単なるゲームではなく、
極めて完成度の高い「表現設計」であることは伝わっていると思います。
では、このブレワイ的な思想は、
実際の映像制作の現場でどう活きるのか。
答えはシンプルで、
「説明しすぎない勇気を持つこと」です。
企業映像こそ「全部伝えない」ほうがいい
企業VPやサービス紹介動画の打ち合わせで、
必ず出てくる要望があります。
「ここは分かりやすく説明してください」
「ナレーションで補足を入れましょう」
「テロップは多めでお願いします」
もちろん、情報整理は重要です。
ただ、情報を詰め込みすぎると、
視聴者は“理解する前に離脱”してしまう。
ブレワイ的に考えるなら、
大切なのは“全部を説明すること”ではなく、“続きを知りたくさせること”。
興味を持った人は、自分で調べに行く
映像は、その入口でいい。
「世界観」を伝える映像は、情報よりも体験が先に来る
ブレワイが優れているのは、
世界の設定を説明する前に、
「この世界にいる感覚」を体験させてくれる点です。
映像制作でも同じで、
ブランドムービーや採用動画では、
- 理念を語る前に、空気を見せる
- 強みを並べる前に、日常を映す
- 実績を語る前に、現場の温度を伝える
こうした順番のほうが、
結果的に深く伝わることが多い。
映像は「正解」を教えるものではない
ブレワイは、
「この遊び方が正解です」とは言いません。
それでもプレイヤーは、
自分なりの楽しみ方を見つけ、
“自分の体験”として記憶します。
映像も同じで、
視聴者に一つの答えを押し付ける必要はありません。
受け取り方の余白がある映像は、
それぞれの立場で解釈され、
長く心に残ります。
トビガスマルが大切にしているのも、同じ思想
私たちトビガスマルが映像をつくるとき、
常に意識しているのは、
「どこまで説明しないか」です。
もちろん、情報は整理します。
でも、すべてを言葉にしてしまうと、
映像である意味がなくなる。
ブレワイがそうであるように、
信じて任せる部分を残すことで、
映像は“作品”になります。
次の章では、
このブレワイ体験を経て、
映像制作者として改めて感じたことをまとめます。
ブレワイが教えてくれた「世界観は作り込むものではなく、信じさせるもの」
ブレワイを一通りプレイして、
映像制作者として強く残った感覚があります。
それは、
世界観は「説明」や「設定」で作るものではないということ。
ブレワイは、世界のルールを細かく語りません。
歴史も、背景も、すべては断片的。
それでもプレイヤーは、
「この世界は本当に存在している」と信じてしまう。
なぜか。
それは、世界のふるまいが一貫しているからです。
風は吹き、雨は降り、雷は危険で、
高いところから見下ろせば、ちゃんと遠くまで続いている。
一つひとつは派手ではない。
でも、嘘がない。
「作り込む」よりも「信じさせる」
映像制作の現場でも、
「世界観を作り込みたい」という言葉をよく聞きます。
ですが、ブレワイを体験して思いました。
作り込みすぎた世界観は、かえって信用されないことがある。
情報が多すぎると、
視聴者は「説明されている側」になってしまう。
一方で、
- 一貫したトーン
- 嘘のない画
- 過剰でない演出
これらが揃っていれば、
人は自然とその世界を信じ始めます。
世界観は、納得させるものではなく、委ねるもの。
ブレワイは、それを徹底しています。
今さらブレワイをやったからこそ、見えたもの
正直に言えば、
「もっと早くやっておけばよかった」と思いました。
でも、今このタイミングでやったからこそ、
映像制作の仕事と重ねて見られた部分も多かった。
デザイナーに言われた
「ゼルダやってないなんて人生損してますよ」
という言葉。
あれは、少し大げさですが、
映像に関わる人間にとっては、あながち間違いではなかったと思います。
トビガスマルの映像づくりも、同じ方向を向いている
私たちトビガスマルが映像をつくるとき、
大切にしているのは、
- 説明しすぎないこと
- 感じる余白を残すこと
- その世界を信じてもらうこと
これは、
ブレワイがやっていることと、実はかなり近い。
映像は、
「分かった」で終わるものではなく、
「残る」ものであってほしい。
もし、
- 自分たちの世界観をどう伝えるか悩んでいる
- 説明ばかりの映像に違和感がある
- もっと“信じてもらえる映像”を作りたい
と感じているなら、
一度、ブレワイを遊んでみるのも、悪くないかもしれません。
そしてもし、
その感覚を映像として形にしたいと思ったときは、
トビガスマルも、その一助になれるかもしれません。
2025.12.04
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