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【エッセイ】なぜバズっても売れないのか。かっぴーさんの話が刺さりすぎた

代表社員 廣瀬高之

こんにちわ、クセノツヨイ映像制作会社「トビガスマル」代表の廣瀬です。

バズれば売れる。

ずっと、どこかでそう思っていました……という話。

再生回数が伸びる。
フォロワーが増える。
拡散される。

その延長線上に、
“仕事になる未来”があると。

でも、かっぴーさんの話を聞いて、
その前提が、静かに崩れました。

「バズる漫画と売れる漫画は、全く違うんですよね。」

この一言が、刺さった。

刺さったというより、
うすうす感じていた違和感に、
言葉を与えられた感覚でした。

SNSで広がるものと、
人がお金を払うものは、
似ているようで、まったく別の構造をしている。

なぜ、バズっても売れないのか。

そして、
人はなぜ「お金を払ってでも欲しい」と思うのか。

今回は、かっぴーさんの話を起点に、
自分なりに考えたことを書いてみます。

バズれば売れる、と思っていた

数字が伸びれば、未来も伸びると思っていた

正直に言えば、どこかで信じていました。

再生数が伸びる。
フォロワーが増える。
拡散される。

その延長線上に、
「仕事になる未来」があると。

SNSは数字が可視化される世界です。
どれだけ見られたか、どれだけ評価されたかが、はっきり分かる。

それは、とても分かりやすい指標です。

数字が伸びると、安心します。
評価された気になる。
自分のやっていることが、間違っていないように思える。

そして、こう思ってしまう。

このまま伸びれば、きっと売上にもつながるはずだ。

でも、その「きっと」は、思ったより遠い。

どれだけ広がっても、売上が動かない瞬間

何万回、再生されても。
何百件、シェアされても。

売上は、静かなまま。

通知は鳴るのに、
口座は動かない。

この現象に出会ったことがある人は、少なくないはずです。

一時的な拡散と、
継続的な収益は、どうやら別の力で動いている。

そのことに、うすうす気づき始める。

でも、認めたくない。

だって、バズるのは嬉しいから。

違和感の正体

かっぴーさんの、

「バズる漫画と売れる漫画は、全く違う」

という言葉を聞いたとき、
心のどこかで「やっぱり」と思いました。

新しい発見だったわけではありません。

むしろ、

ずっと感じていた違和感に、名前がついた。

SNSは“接触”を増やす装置。
でも、売上は“関係”の深さで決まる。

その違いを、ちゃんと分けて考えられていなかった。

だから、混乱していたのだと思います。

それでも、バズは気持ちいい

ここが厄介です。

バズは、気持ちいい。

数字が伸びると、脳が喜ぶ。

評価されると、承認欲求が満たされる。

それ自体は悪いことではありません。

でも、

気持ちよさと、ビジネスは一致しない。

むしろ、気持ちよさに引っ張られるほど、
「売れる構造」から離れていくことすらある。

では何が違うのか。

次は、その構造を分解してみたいと思います。

「バズる」と「売れる」は構造が違う

バズは“接触”でしかない

バズとは何か。

それは、多くの人に一瞬触れられることです。

タイムラインを流し見している誰かの指を、
ほんの数秒止める。

スクロールを止めさせる力。

それがバズの正体です。

でも、そこで終わることが多い。

触れられる。
見られる。
笑われる。
共有される。

けれど、それは接触であって、関係ではない。

接触は軽い。
関係は重い。

そして、お金が動くのは、
いつだって“重い側”です。

売れるとは“関係”が生まれること

売れる、というのは、

「いいね」を押すことではありません。

「面白かった」と言うことでもありません。

財布を開くことです。

財布を開くという行為には、
小さくない決断が伴います。

  • 本当に欲しいか?
  • お金を払う価値があるか?
  • 他の選択肢より優れているか?

このハードルを越えるには、
一瞬の接触では足りない。

必要なのは、
信頼期待継続的な体験です。

つまり、関係。

バズは点。
売上は線。

点がいくら増えても、
線にならなければ、収益にはならない。

無料と有料のあいだには、断絶がある

SNSの世界は、基本的に無料です。

見るのも、シェアするのも、フォローするのも、無料。

無料の行為は、心理的なハードルが低い。

でも、そこから有料に移る瞬間、
世界は一段階変わります。

無料の世界は「暇つぶし」で済む。

有料の世界は「本気」です。

この断絶を、
僕たちは甘く見がちです。

再生回数が10万回いったからといって、
1%が買ってくれるわけではない。

むしろ、ほとんどがそこで終わる。

バズは熱狂に見えるけれど、
多くは軽い通過点です。

では、どうすれば通過点で終わらせず、
関係へと変えられるのか。

そのヒントが、
かっぴーさんの話にありました。

“良すぎるもの”しか、断絶を越えられない

面白い、では足りない。

可愛い、でも足りない。

役に立つ、でも弱い。

人が財布を開く瞬間は、
感情が一段階、突破したときです。

「これは欲しい」ではなく、

「これは持っていないと嫌だ」

そのレベルまで到達したとき、
無料と有料の断絶を越える。

それを、かっぴーさんは

“映画館レベル”

と表現していました。

映画館は、家でも観られるのに、
わざわざ時間とお金を使って行く場所です。

その覚悟を引き出せるもの。

それが「売れるもの」なのだと思います。

SNSが「夢の装置」だった時代

一夜で有名になる神話

少し前まで、SNSには夢がありました。

無名でも、
地方にいても、
コネがなくても。

一つの投稿が爆発すれば、
世界が変わる。

出版社から連絡が来る。
企業からオファーが来る。
テレビに出る。

そんな話が、実際にいくつもありました。

SNSは「逆転装置」だった。

努力よりも、センスよりも、
一発の拡散が未来を決める。

そういう物語が、確かに存在していました。

アルゴリズムが変えた世界

でも、今はどうでしょう。

フォロワーが多くても、
投稿が必ず届くわけではない。

アルゴリズムが、流すかどうかを決める。

フォロー関係も、時系列も、
あまり意味を持たなくなりました。

拡散は起きる。
でも、持続しない。

昨日のバズは、今日の沈黙になる。

SNSは、魔法の舞台から、
巨大な実験場に変わったのかもしれません。

フォロワーは資産なのか?

フォロワーは資産だ。

そう言われてきました。

でも、資産とは何でしょう。

安定して価値を生むものが、資産です。

では、フォロワーは安定しているか。

プラットフォームが変われば、
一瞬で消える。

アルゴリズムが変われば、
届かなくなる。

フォロワーは、
“借り物の土地”に立っている数字です。

それ自体が悪いわけではありません。

でも、それをゴールにしてしまうと、
いつまでも不安定なままです。

それでもSNSは必要だ

ここで誤解したくないのは、

SNSは無意味だ、という話ではないということ。

むしろ逆です。

SNSは、今でも強力な装置です。

ただし、その役割は変わった。

SNSは出入口です。

発見の場。
検索される場。
あなたという存在に触れる最初の接点。

でも、そこで完結しない。

本当の勝負は、
その後にあります。

では、その「後」とは何なのか。

次は、
人がなぜお金を払うのかについて、
もう少し掘ってみます。

人はなぜお金を払うのか

“面白い”では、財布は開かない

正直に言えば、

SNSには、面白いものが溢れています。

笑える動画。
役に立つ解説。
心に刺さる言葉。

しかも、ほとんどが無料です。

無料で、これだけ質の高いコンテンツがある世界で、

「面白い」だけでお金を払ってもらうのは、難しい。

面白い、は評価。
お金を払う、は決断。

このあいだには、深い溝があります。

感情の突破ライン

では、人はどんなときに財布を開くのか。

それは、感情が一段階、突破したときです。

「ちょっと好き」ではなく、

「これは欲しい」

さらに言えば、

「これを持たずにいるのは、もったいない」

そのレベルまで到達したとき。

そこには、

  • 圧倒的なクオリティ
  • 唯一無二の視点
  • 他に代替できない価値

が必要です。

かっぴーさんの言う、

「良すぎるもの」

とは、きっとこのラインのことだと思います。

映画館レベルという基準

映画館に行く、という行為を考えてみます。

家でも観られる。
サブスクでも観られる。

それでも、時間を作り、
お金を払い、
移動して観に行く。

なぜか。

それだけの価値があると、
信じられているからです。

映画館レベルとは、

「わざわざ」を引き出せる力

のこと。

無料の延長ではなく、
“別次元の体験”として認識されるレベル。

そこまでいった作品だけが、

無料と有料の断絶を越える。

時間とお金は同じもの

もうひとつ重要なのは、

人はすでに「時間」というコストを払っている、ということ。

動画を見る。
漫画を読む。
記事を読む。

それはすべて、時間を差し出している。

時間は、人生そのものです。

つまり、

時間を払わせられないものは、お金も払わせられない。

ここが本質かもしれません。

バズは、時間を奪うことはできる。

でも、
時間を預けてもらえるかどうかが、売れるかどうかの分かれ目。

預けられた時間が積み重なったとき、

人は初めて、

「この人にお金を払いたい」と思う。

無料で100日続けろ、の本当の意味

信頼は、無料でしか積めない

「まずは無料で見せ続ける」

この言葉は、シンプルだけれど重い。

多くの人が、早く収益化したくなる。

時間も労力もかけているのだから、
できるだけ早く回収したいと思うのは当然です。

でも。

誰も知らない人に、お金は払わない。

これは冷たい真実です。

知らない。
信用していない。
どんな人か分からない。

その状態で財布を開く人は、ほとんどいない。

だから、まずは無料で見せる。

それは値引きではなく、

信頼の前払いです。

生活に入り込む、という戦略

100日、という数字には意味があります。

毎日でなくてもいい。

でも、一定期間、継続する。

すると何が起きるか。

作品が、誰かの生活の中に入り始めます。

通勤中に見る。
寝る前に読む。
昼休みにチェックする。

そうやって、少しずつ習慣になる。

習慣になったものは、消えにくい。

そして、

習慣になったものに、人はお金を払いやすい。

それは新聞でも、サブスクでも、同じ構造です。

有料は「最後」に置く

多くの人が、順番を逆にしてしまう。

まず商品を作る。
値段を決める。
売ろうとする。

でも本当は、

関係が先。商品は後。

関係ができていれば、

「これを出しました」と言うだけで、
買ってくれる人が現れる。

関係がなければ、

どれだけ告知しても、反応は薄い。

無料で100日続ける、というのは、

売上を捨てることではありません。

売上の土台を作ること。

なぜ多くの人が途中でやめるのか

100日は、長い。

反応が少ない日もある。
伸びない日もある。

不安になります。

「意味あるのか?」と。

でも、ほとんどの人がやめるからこそ、
続けた人が残る。

最初の一年を耐えた、というかっぴーさんの話は、

精神論ではなく、
構造の話だと思います。

時間は、参入障壁になる。

続けること自体が、差別化になる。

商業と実験、両方持つという生存戦略

大作と箱庭

かっぴーさんの話で印象的だったのは、

商業向けの作品と、
インディーズ的な実験作を、
両方持つという考え方でした。

これはとても健全な戦略だと思います。

商業作品は、広く届くもの。

多くの人に刺さる構造を持ち、
収益を生み出す軸になる。

一方で、実験作は箱庭です。

自由に試せる場所。
尖ったことができる場所。
失敗しても致命傷にならない場所。

この二つは、どちらか一方では成り立たない。

商業だけだと、
売れることに縛られてしまう。

実験だけだと、
収益が不安定になる。

両輪があるから、前に進める。

ライト層とコア層

よく、「ライトなファンが多い方がいいのか、コアなファンが多い方がいいのか」と議論になります。

答えは、おそらく両方。

ライト層は広がりを作る。

コア層は支えになる。

ライト層だけでは、
熱量が足りない。

コア層だけでは、
広がりが止まる。

広く届く作品と、
深く刺さる作品。

両方を意識することで、
創作の自由と安定が両立する。

これは漫画だけの話ではない。

創作の自由と収益のバランス

表現で生きていくとき、

自由か、収益か、という二択に見える瞬間があります。

でも、本当は二択ではない。

構造を分ければいい。

収益を生む軸を持ちながら、
自由に挑戦できる場も持つ。

トビガスマルで言えば、

クライアントワークと、自主企画。

どちらかだけでは、偏る。

両方あるから、続けられる。

バズるかどうかではなく、
続くかどうか

そこが分かれ目なのだと思います。

「良すぎるもの」を作るという地味な努力

編集後も3回直すという話

かっぴーさんが話していた、

「編集OKの後でも、さらに3回は直す」

という習慣。

これが、いちばん刺さりました。

普通は、OKが出たら終わりです。

締切もある。
次の仕事もある。

でも、そこで止めない。

「これでいい」ではなく、

「もっといけるはず」

と、自分に問い直す。

その小さな積み重ねが、

“面白い”を、“面白すぎる”に変えていく。

加点の思想

多くの人が、減点を恐れます。

ミスをしない。
失敗しない。
炎上しない。

でも、売れる作品は、

減点ゼロではなく、加点の塊です。

多少の粗さがあっても、
それを超える加点がある。

心を撃ち抜く台詞。
忘れられないシーン。
誰にも真似できない視点。

そういう“加点”がある作品は、強い。

バズは偶然で起きることもある。

でも、加点は偶然では起きない。

意図して磨くしかない。

プロとアマの差はどこにあるか

プロとアマの差は、才能だと思われがちです。

でも、本当は違う気がします。

差は、

「ここで終わらせない」回数

なのではないか。

一度OKが出たあと、
もう一振りするかどうか。

公開ボタンを押す前に、
もう一度読み返すかどうか。

小さな一手を、
どれだけ積み上げられるか。

その差が、やがて大きな差になる。

映画館レベルとは、

派手さではなく、

執念の総量

なのかもしれません。

地味な努力は、数字になりにくい

ここが難しいところです。

加点は、すぐには見えない。

直したからといって、
必ずバズるわけではない。

むしろ、ほとんどの場合、
静かです。

でも、その静かな積み重ねが、

ある日、
“売れる”に変わる。

バズは花火。
加点は薪。

どちらが、長く燃えるか。

それでも、バズりたいと思ってしまう

承認欲求は、悪者ではない

ここまで書いておいて何ですが、

やっぱり、バズりたい。

数字が伸びれば嬉しいし、
拡散されれば気持ちがいい。

それは自然なことです。

承認欲求は、悪者ではない。

むしろ、表現を続けるエネルギーの一部でもある。

問題は、それをゴールにしてしまうこと。

数字の中毒性

SNSの数字は、即効性があります。

投稿すれば、すぐ反応が返ってくる。

それは、創作にとって強い刺激です。

でも、

即効性と持続性は、別物。

数字に振り回されると、

  • 伸びるテーマに寄せる
  • 刺激を強める
  • 短期的な反応を優先する

そうやって、少しずつ軸がズレていく。

気づいたときには、

「売れる構造」から離れている。

向き合い方を変える

だからこそ、

バズを否定するのではなく、

位置づけを変える

バズは目的ではなく、副産物。

発見の入口。
接触のきっかけ。

そこから関係へと育てられるかどうかが、本番。

バズっても売れない。

それは失敗ではなく、

構造を理解するためのヒント

なのだと思います。

まとめ|目指すのは「売れること」ではない

結局、目指すべきは、

バズでも、売上でもない。

目指すのは、

「良すぎるもの」

それだけです。

良すぎるものは、

  • 時間を奪い
  • 感情を動かし
  • 関係を生み
  • 結果として、お金を動かす

順番を間違えないこと。

まず、作品。

次に、関係。

最後に、売上。

バズは、その途中に起きることがある。

でも、それを追いかけると、

本質から離れる。

表現で生きていく道は、確かに厳しい。

でも、方法はある。

目先の数字ではなく、

読者が自ら財布を開くレベルの“良すぎるもの”

を、作り続けること。

それが、いちばん遠回りで、
いちばん近道なのだと思います。

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